秋田組の思い

「この地の人のために」

極楽寺建設中の秋田組の職人たち(中央のブーツ姿が当時31才の義明)
極楽寺建設中の秋田組の職人たち(中央のブーツ姿が当時31才の義明)

秋田組は、1922年(大正11年)に、初代社長である秋田義明が福島県小野町に起ち上げた総合建設業企業です。義明は、東京神田にある工務店で奉公をしたのち郷里の小野町にもどり秋田組を創業しました。折しもその翌年関東大震災が発生。義明は直ぐさま職人を引き連れ東京に駆けつけ震災の復興に尽力しました。義理人情に厚く棟梁として人望もあった義明の元には、以来多くの腕利きの職人が集まり、秋田組発展の礎を作りました。

1929年(昭和4年)。小野町の由緒ある寺院「極楽寺」の建築工事では、小さな町の寺院建立は資金難から困難を極めましたが「この地の人のために何としてもやりぬこう」と義明の持ち前のきっぷの良さと信念から数年の歳月を経て完成にこぎつけ地域の人々から感謝され多くの信頼を集めました。

「信用は、無限の資本」

直孝が従業員に宛てた手紙
直孝が従業員に宛てた手紙

昭和30年代、地域の発展とともに秋田組も成長を遂げ60人を超える大所帯となっていました。1962年(昭和37年)。義明を引き継ぎ2代目社長となった直孝は、先づ株式会社に改め近代的な体制に組織を整え、社是「信用は、無限の資本」を定めました。
「信用は何ものにも勝る」、「会社にとって人は財産」、「事務所はオアシス、だから居心地が良いとこにしろ」が口癖でした。直孝は、社員の家族も大切にしました。

後に公職となったため直孝が社長を務めた期間は長くはありませんでしたが、信用を礎に人を大切にするという秋田組の社風は、変わることはありません。

「リカちゃんの聖地に」

リカちゃんキャッスルの設計図
リカちゃんキャッスルの設計図

今では全国区の知名度を誇る小野町の「リカちゃんキャッスル」。
このプロジェクトが立ち上がったのは、3代目社長佳一(現会長)の時でした。
当時のタカラ(現タカラトミー)佐藤安太社長がこの地域出身という縁から小野町にリカちゃんを製造する福島工場があり、誕生25周年を記念した工場の増改築の話が持ち上がったのでした。
「どうせ作るなら町のランドマークになる人を呼べる工場を作ろう!」というタカラの発案を形にするため秋田組も加わりJVが発足。
「こんな田舎に工場を見に来る人がいるのか」と囁かれる中1993年。日本で初めての人形一貫生産オープンファクトリーミュージアム「リカちゃんキャッスル」が完成。多くの観光客が押し寄せました。

その日から「玩具工場」は、リカちゃんの聖地として地域の人々にも愛され、街の誇りに変わったのでした。

「街に夢を、人に誇りを。」

秋田組は、大きな苦難の時期を乗り越え2020年。新たなビジョンを掲げ再スタートします。

先達たちが築いてきた「信用」に今まで以上に応えるためにさらに個々が研鑽を重ね、何より従業員とその家族と共に手をたずさえ、地域の皆さまに愛される秋田組となることを目指します。

「街に夢を、人に誇りを」新しい秋田組にご期待ください。